今日は、祖父の25回忌でした。
特別なことは何もせず、両親と私たち家族だけで、お坊さんの読経を聞く静かな時間。

豪華な料理も、大人数の集まりもない。
けれど、その時間が心にしみた一日になりました。

お寺ではなく、家に来ていただいたお坊さん。
読経の途中、少し説明を交えながら御詠歌(ごえいか)を唱えてくださいました。

それが、なんとも言えず美しい声で。
まるで空気が澄んでいくような、そんな感覚に包まれました。

ふと横を見ると、娘が静かに涙を流していました。
「どうしたの?」と聞くと、彼女は一言。

「なんでか分からないけど、涙が出ちゃった。」

その言葉に、胸がぎゅっとなりました。
感受性が豊かだなと感激しました。
娘にとってはひいおじいちゃんなので、会ったこともないので思い出すとかはありえないんですが、こうして何かを感じてくれたことが、なにより嬉しかった。

あるいは、御詠歌の響きが、心の奥深くに届いたのかもしれないなぁと思いました。

命の記憶は、語り継ぐだけじゃなく、
こうして“感じ取る”ことで心に受け継がれていくのかもしれません。

特別なことをしなくても、心で感じる法要は、こんなにも意味がある。

大切な人の命日、
あなたはどう過ごしていますか?

法事や命日を「どう過ごせばいいか」と悩む方へ。
形式よりも大切なのは、「故人を想う時間を持つこと」かもしれません。
御詠歌や読経の中に、思いがけず心が動く瞬間があるかもしれませんよ。

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